「東日本大震災から丸一年」
 
 あの日からちょうど、1年が経過した。日本中を、いや世界の人々を震かんさせた3月11日がやってくる。
 もう1年も経ってしまったのかという表現は、あまりにも失礼であるが実感である。しかし、被災地の皆様にとってこの1年がどんなにか長く、辛い日々であったことか。復興の日がくることを、一日千秋の思いで待ち望んでいることと思う。未だ、30万人を超える人々が、避難生活を余儀なくされていることを思うと心が痛む。
 平成23年3月11日は、当麻中学校卒業式の日であった。いつもながらの感激の涙に頬を濡らし、体育館を後にした。町長室で書類整理の途中、東北地方で大地震発生の第一報。テレビのスイッチを入れたが、被害の状況はすぐには伝わってこなかった。
 その後、時間の経過と共に飛び込んでくる大津波の様子に息を呑んだ。防波堤を突き破り、船が、車が、漁具が次々と陸上深く押し上げられる情景は、この世の姿ではなかった。この家が、あの農地が橋が、次々と暗黒の波に消えてしまう。同時に、大切な命が奪われてしまうと考えることが怖かった。
 私達の人生の中で、一番辛く悲しい場面をテレビは映し出していた。その瞬間から、町も町民の皆様も、何かしてあげたいとの気持ちは一気に高まった。
 多くの物資や義援金を寄せていただいた。南相馬市の子供達を迎えてあげたい、絵本も届けてあげたい等々、個人団体を問わず、温かい手を差し伸べていただいた。2月25日、旭川市で開催された石巻市にピアノを贈る音楽イベントには、「ピアノを贈るだけではなく、寄り添って歩んでいく支援が大切」と、当麻コールデイジーも出演された。
 一つ一つの行動は小さくとも、寄せる気持ちの大きさは、必ず被災地の皆様に届いていることと信じている。
 先日、地元新聞社が発行された河北新報のいちばん長い日≠一読した。一行一行に緊迫感が募り、現地の状況が昨日のように蘇(よみがえ)る。被災者に寄り添う地方新聞社の記事は、2011年度新聞協会賞を受賞されている。
 一日も早く復興され、2011年3月11日が未来への教訓の日となることを願っている。

(平成24年3月号・広報とうま掲載コーナー・第101回随筆)



「4期目の当選に感謝して」
 
 不出馬表明から一転、ことのほか厳しい寒さの中での選挙戦であったが、町民の皆様は、4選目の町長として私を選んでいただいた。感謝の気持ちと、身の引き締まる思いでペンを走らせている。
 3期をもって退任する気持ちであったので、新年度予算にはほとんど手をつけておらず、当選後大急ぎでその作業に入っている。短期間での編成作業ではあるが、職員は私のまちづくりへの思いを共有してくれている。期間中も、たくさんの思いや願いの声を伺った。いい新年度予算を組めるものと期待している。
 某新聞社の編集委員の方がこんなお話をされていた。
 「震災前、人々にとってはまず何代にもわたって土づくりをしてきた土地≠ニ清浄な水≠ェあった。それで田や畑ができ、その上に家が建っていた。そうした家族が隣近所ごとに支え合い、夏祭りや盆踊りや収穫祭をやりながら暮らしてきた。それが地域であり、そうした地域が集まって構成されるのが自治体だった。これらはすべて一つにつながっていたのに、原発事故で一瞬のうちに引き裂かれ、土地を奪われ、家族も地域もばらばらにされたのだ」。
 何の責任もない人々が、理由もなく平和な生活を奪われ、夢が絶たれたことを思うと改めて心が痛む。
 5日間の遊説期間中、このことを思い起こしながら町内を廻らせていただいた。選挙戦であるので、もちろん不安はつきまとう。加えて今年の冬の寒さは特に厳しかった。でも、厳しければ厳しいほど、古里当麻町の景色と人々の心は温かった。
 純白の田畑にふりそそぐ朝日は、どこまでもキラキラと輝き、凍(い)てついた樹々は凛としてそびえ立っている。変わらない古里の景色に心いやされ、平和な日々に感謝しながら車窓から身を乗り出していた。
 いただいた声援は、「頑張(がんば)れよ、しっかりたのむぞ」との、メッセージである。一度、退任を決意した身。まさに、新人町長の心意気である。心新たに、「強く優しく温かい」まちづくりに、町民の皆様と共に歩んでいきたい。
 100回で終止符を打つ予定であった町長室の窓から≠焉A再びスタートラインについている。

(平成24年2月号・広報とうま掲載コーナー・第100回随筆)



いのちのリレー
「世にも美しい、そして哀しい絵本」


 2008年4月から、子どもの誕生日に絵本のプレゼントをスタート。自ずから、絵本に関する話題に心が奪われてしまう。
 作家の落合恵子さんは、東日本大震災から一月ほどたった時から、被災地の子どもたちに絵本を贈る運動に取り組まれている。「被災地にまず必要なものは医薬品、食糧、水などの生活必需品。本は、そのあと。ただし期限を設けずに送りましょう」。4月半ばに第一便発送後、その数は8万冊を越えている。
 ノンフィクション作家柳田邦男さんも、「絵本は子どもだけのものじゃない。大人の心に潤いを与え、生きる上で大切なことを気づかせてくれている」と語られている。絵本は人生で3度楽しめると主張される。幼いころ、子育て中、そして人生後半になってから。
 医師であり作家である鎌田實さんが、パレスチナで起こった悲しい出来事を、平和への願いを絵本にこめて、「アハメドくんの いのちのリレー」(集英社)を出版された。「世にも美しい、そして哀しい絵本」と、瀬戸内寂聴さんも言葉をおくられている。
 〔2005年、パレスチナ難民キャンプで、12歳のパレスチナ少年がイスラエル兵に……。
 友達の家のパーティーに出かける途中のアハメドくんの小さな体に、イスラエルの狙撃兵が、2発の銃弾を撃ち込んだ。家族の必死の祈りも届かず、少年は脳死≠ニ診断された。
 主治医の勧めにしたがい、父親は、息子の臓器を病気の子どもたちに提供することを承諾した。臓器を提供する側は、移植相手を選ぶことはできない。少年の腎臓と肺、肝臓、心臓は5人の子どもたちと1人の中年女性に提供された。その全員がイスラエル国籍だった。
 敵の子どもたちに、息子の臓器を提供する。自分が同じ立場だったらとてもできないと思った〕、と鎌田さんは語られている。
 5年越しの願いがかない、鎌田さんは、その父親とイスラエルを訪問することができた。死を待つだけだった12歳の少女は、心臓移植を受けてすっかり元気になり、美しい17歳の少女に成長していた。「まるで、息子が今も生きているみたいだ」と、父親は少女を抱きしめた。
 「来年医学部を受験する。医者になれたら、いつかパレスチナのこどもの命を救い、平和の橋を架ける人間になりたい」。少女のこの言葉を聞いて、鎌田さんは絵本をつくる決意をされた。

(平成23年11月号・広報とうま掲載コーナー・第99回随筆)



「役場は最大のサービス産業」

 中学校時代の同級生Y君が、父親の葬儀を済ませた後、町長室に寄っていただいた。彼からいただいた言葉は、ことのほか温くうれしかったので書かせていただく。
 「父の死後、諸手続きのため役場を訪れたが、対応してくれた職員が親切で、我々が描いていた役所仕事とは雲泥の差があり、感心した」と語っていただいた。
 町長室では、難しい課題が生じたり、苦しい判断を迫られることが度々であるが、この様な言葉をいただいた時の喜びは格別である。
 「農業合同事務所で農地関係の手続きを終わらせ、関連手続きのため役場に来たが、すでに農林課から役場の担当課に電話が入っており、準備書類は整っていた。たらい回しの姿勢はまったくなく、民間のサービス精神と変わらないことに驚いている。東京で生活している家内も、役所でこんなに親切にされたことはないと感激している」と、具体的にお褒めの言葉を頂戴した。
 役場が、来庁者の皆様に親切に対応することは当たり前であるが、職員の気持ちが来庁者の心に届いたことは誠にうれしい。私も、折々に町民サービスの向上について職員に語りかけている。
 「町長として、町民から役場の対応が悪い。職員が無愛想だ≠ニの声をいただいた時ほど落ち込むことはない。反対に役場は親切だ。あいさつが良く気持ちいい≠ニの声をいただいた時の喜びは何にも変え難い」。
 町民は役場職員に何を求めているのか、年度始めの町長訓示などで話す機会は多い。「職員10人の内、9人の評価が高くても、1人が町民のひんしゅくをかうと、1人のために役場全体の評価が悪くなってしまう。その1人にならない様、職員全員が町民サービスに努めてほしい」。
 「役場を訪れる方は大切なお客様である。いらっしゃいませの言葉で迎え、ありがとうございましたの言葉でお送りしてほしい。あいさつは人間として、職員としての基本である」。町長は選挙で選ばれ、町民の代表だが、町職員の代表でもある。だから、職員の評価は私の評価とらえている。
 行政サービスの最前線で活動する職員から、今日も笑顔とともに、「ありがとうございました」の声が、町民に届くことを願っている。

(平成23年10月号・広報とうま掲載コーナー・第98回随筆)



「近畿の夏に咲きほこった当麻中学校ソフトテニス部」

 『君の夢 近畿の夏に 咲きほこれ』のテーマのもと、全国中学校ソフトテニス大会が、奈良県明日香村で開催された。当麻中学校女子ソフトテニス部の戦いは、会場を埋め尽くした全国のソフトテニスファンに、大きな感動を与えていた。
 昨年、一昨年と全国制覇した奈良大宇陀中学を準決勝で打ち破り、昨年準優勝の和歌山信愛女子短附中学相手に、見事な決勝戦であった。1勝1敗で迎えた第3ダブルス、セットポイントは3対3、最終セットのポイントは6対6、7ポイントで勝利決定、文字どおり最後の一本の戦いである。
 机上で描いても、これ以上のシナリオは思い浮かばないほど、スリリングな試合の展開。コートを囲む大観衆も、どちらも勝たせてあげたい、どっちも負けるな、両チームの死闘に拍手を惜しまない。試合途中、胸はドキドキ、目頭は熱くなるシーンの連続だったが、勝負が決っした時、私を含め応援する者の目に涙はなかった。それほど感動的であり、敗者も勝者も美しく輝いていた。両チームをたたえる拍手の嵐は、明日香の森にしばらく鳴り止むことはなかった。
 20名を越える当麻応援団の声援も、少なからず選手の背中を押していた(もう少し声を抑えてと主審から注意を受けたことはご愛敬)。 会場を往来する選手の背中には、それぞれの思い入れがプリントされている。「栄光に近道なし」「努力は才能を超える」「弱気は最大の敵、強気は最大の友」。
 閉会式、泉田主将の「それぞれのペアが全力で戦った。悔いはない」のコメントのとおり、選手たちの顔はさらに輝いていた。藤原審判委員長の講評が会場に響き渡る。「気迫あふれるプレーは見ている人に感動を与えてくれた。惜しくも準優勝だった当麻中学校、優勝チームに勝るとも劣らない実力だった」。
 翌朝の北海道新聞の記事は、喜びを上乗せさせる。部活動で人間教育に力を入れる当麻。閉会式の成績発表で名前を読み上げられると、当麻の選手だけが「はい」と答え、メダルの授与では「ありがとうございました」。礼儀正しさは日本一だった
 さわやかな感動を残し、当麻の夏は終わりを告げようとしている。

(平成23年9月号・広報とうま掲載コーナー・第97回随筆)



「求められるリーダーの役割」

 2008年9月に起きたリーマンショックで、経済的な基盤の弱さを知り、高齢者の孤独死年間3万人との報道で、「無縁社会」という言葉とともに、地縁や職縁や血縁の「つながり」の遠のきを知らされた。
 加えて今回の東日本大震災・福島原発事故と、日本は三つの大波に襲われてしまった。私たちは、長年安全で豊かな消費(浪費)社会になじんできた。大震災で日本人の幸福感も変わった。反省の時間を与えられ、不透明で不安の時代を生き抜く覚悟も求められている。
 防災くと唱えながら、災害は対岸の火事ととらえた心の緩みはなかっただろうか。今、全国の市町村は、改めて防災計画の見直しを求められていると言っても過言ではない。
 先日、鰍ヘとバス元社長の宮端清次さんのお話を聞く機会をいただいた。一つ一つの言葉が胸に刺さる。『町民の役にたつ所が(役所)である。 町民の役にたつ人が(役人)である。』
 ところが、役所、役人に対する言葉の表現は極めて厳しい。「小役人」「役人面」「役人風情」「お役所仕事」……思いあたる節はないだろうか。
 また、不透明・不安の時代を生き抜くリーダーの役割をこう示された。

●仕事ができるか
●人間的魅力があるか
●激務に耐えうる体力があるか(心身ともに)

 加えて、情熱と正義感をそなえているか、と話されていた。
 テレビに映し出される被災地の首長の顔つきが、このことを物語っている。住民の生命と財産を預かっている責任感と、それを守り抜こうとする断固たる決意が、そこににじみ出ている。
 自らの家族や自宅を失ったにもかかわらず、住民の命と生活を守るため、不眠不休で活動されている。大きな壁に直面した時こそ、市町村長が前を向き、住民と共に「がんばろう、上を向いて歩こう」と、夢と希望を与えることがいかに大切かを痛感させられる。
 津波にさらわれ行方不明になった母親を心配しながら、別の被災地で捜索活動する自衛官が、記者に語られた言葉を忘れることができない。「あと少しがんばれば、もう少し下まで掘れば見つかるんじゃないか、そう思うと手が止まらない」と。肉親を案じるつらさが心の底に響く。

(平成23年8月号・広報とうま掲載コーナー・第96回随筆)



「東電社員の父を持つ小6の手紙」

 東京電力に父親が勤務する、小学6年の児童から、M小学生新聞社に一通の手紙が届いた。この記事を読まれた全国の小学生から、大きな反響が寄せられている。
 福島第一原発事故により、「原発をつくるきっかけをつくったのは世界中の人だ。みんな無責任である」との一通の手紙が、全国の子供の賛否を呼んだ。私たち大人にも、反省を求める数々の問題が、その新聞で紹介されている。

●男子児童からの手紙の要旨
 突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です。(東電の責任を指摘した小学生新聞の記事を読んで)無責任だと思いました。原子力発電を造ったのは東京電力ですが、つくるきっかけをつくったのは、日本人、いや世界中の人々です。
 日本人が夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったからです。原発を造らなければならなかったのは、地球温暖化を防ぐためです。温暖化を進めたのは世界中の人々です。そう考えると原発を造ったのは、東電を含めみんなであり、みんなも無責任であるといえます。

●私は、原発事故に関して、国民全体に責任があるという考え方には反対です。電気の無駄使いについては責任がありますが、危険性についてどれだけ知らされていたでしょうか?学校で習ったでしょうか?
 原発はクリーンなエネルギーで、安全不可欠なものだというポスターがはってありました。そうしたポスターや作文の募集もありました。それをしたのは東京電力と国です。
 そんな教育をうけた私たちが、原発はあぶない!つくらないほうがいい!という意見をもつことができたでしょうか。これからは、みんなで話し合って、大人が何を間違えたのか、を考えていく必要があると思います。 
(神奈川県 小五)

●私の友達に、お父さんが東電で働いている子がいます。
 前は、明るくて文武両道で、みんなから好かれるすごく良い子だったのに、今は不登校ぎみで、私を含む数人としか話しません。どうして、何も悪くない彼女がいじめられるのでしょう。原発は人の役に立ちますが、今回のように人を傷つけます。せめて新しい発電方法が見つかるまで、原発を批判しないでください。
 (M)

 一通読む毎に胸が詰まる。児童たちの怒りは、新しい日本に生まれ変われ、との警告に聞こえてならない。

(平成23年7月号・広報とうま掲載コーナー・第95回随筆)



「東日本大震災から3カ月」

 地下鉄も、霞ヶ関官庁の廊下も、夜の街路も暗かった。短いエスカレーターをはじめ、歩く歩道もほとんど止まっている。ビルのエレベーターの稼動は3分の1程度、3階以内は階段をご利用下さいとの呼びかけ看板が、行く先々で目に留まる。
 先月中旬、上京した時の街の様子は、私達の気持ちをさらに暗くしてしまう。東日本大震災から3カ月。悲しみを乗り越えてがんばる被災者の姿は、逆に私達に勇気を与えていただいているが、その後の原発のニュースを見る度にそんな気持ちもなえてしまう。日を追うごとに事態は深刻度を増す。事故の真実が、少しずつ明らかになってくるとの表現が正しいのだろう。九死に一生を得た被災者の皆様の声も届いてくる。
 「屋上の電波塔にしがみつき、波に呑み込まれないよう必死だった。屋根瓦にしがみつき、押し寄せてくる津波に耐えた」
 「車ごと波に流され、ドアも窓も開かず死を覚悟した。途中瓦礫にぶつかりガラスが割れ、外に飛び出すことができ、必死で泳いだ。高台からの、がんばれがんばれの声を受けなんとか生き延びることができた」
 死と直面した一人一人のお話をお伺いする度に鳥肌が立ってしまう。
 悲しみの中ではあるが、国内はもとより世界各国から支援の輪が広がっており、現地の皆様には大きな励みになることと思う。「国難の時、経済人である前に人の命を思う人物でありたい」。自身のツイッターでこう語られた孫正義氏。個人資産から100億円を寄附し、代表職を引退するまでの報酬を全額寄附するとの報道に驚く。行動の早さはさすがである。
 「自然災害はどの国でも起こりうること。津波で苦しむ日本の被災者を支援するため力を合わせたい」と、アジア各国の歌手や俳優が立ちあがった。4月1日、愛に国境はない、311キャンドルナイト=A俳優のジャッキー・チェン氏が企画したイベントが、香港で開催された。この日だけで、約2億9千万円の義援金が集められたという。
 善意の気持ちと裏腹に、水も空気も日本の食べ物も危ないとの報道も耳にする。一つ一つに、うれしい涙と悔しい涙が交差する。
 反省と教訓を心の中で積み上げ、日本は立ち上がらなければならない。

(平成23年6月号・広報とうま掲載コーナー・第94回随筆)



「青年会議」

 町内に、青年会議という組織がある。商工会青年部、JA当麻青年部、個人会員として商工会・かたるべの森・役場・消防等の職員で構成されている。会員数126名の大世帯である。
 先日、会員大勢出席の下、23年度の定期総会が開催された。所属団体の垣根を越え、まちづくりに思いを寄せる男女の心意気は、実に清清しい。
 議案の審議は極めてスムーズであるが、本番は懇親会である。若さが弾け、意気のいい声が飛び交うのは予想どおりである。自己紹介も盛り上がる。初対面の方も数多くいるが、旧知の関係になるのに長い時間を必要とはしない。
 役場・消防の若手職員が多数参加していることも、私にとって大変うれしいことである。特に近年、新入職員は町外出身者が多いだけに、この様な交わりを通じ町民サービスの意識を高めていただくことは意義深い。
 青年会議は、まちづくりに積極的に参加されている。寒い夜間、何日もの準備作業のうえ開催されるキャンドルライトフェスティバル。青年の夢を乗せてアイスキャンドルはきらめき、子どもたちの願いは紙コップの中でユラユラ輝いている。新米新そばまつりでは、呼び込みの声高く、出店でまつりを盛り上げていただいている。裏方に徹し、ボランティアサポートとして生涯学習フェスティバルを支えてくれる活動もありがたい。
 団体としての予算は少ないが、活動内容はまちづくりに大きなインパクトを与えてくれている。
 総会では、新しい執行部を選んでいただいた。議長に山下高博君(農業)、ささえる副議長に高島直樹君(商工)・池沢淳君(個人)、事務局の要に宮嶋一洋君(農業)。誠に頼もしい面々である。
 青年会議のメンバーに、上下の関係は皆無である。全員が心を一つにして、前を向いて進んでくれることを願っている。一生を旅に生きて国の無形文化財になった瞽女(ごぜ)、小林ハルさんの言葉に、
 「いい人と歩けば祭り  悪い人と歩けば修業」とある。会議に集う若者の、これからの歩みに思いをはせ、小雨の中帰路につく。

(平成23年5月号・広報とうま掲載コーナー・第93回随筆)



「東日本大震災」

 信じたくない、この世の光景とは思いたくない。そんな映像を町長室のTVは映し出していた。
 海から押し寄せる津波が田畑を呑み込み、車や建物をマッチ箱のように押し流す。車の中に人はいないのだろうか、家とともに流されている人は。ともにTVに見入っていた職員から、悲鳴に近い声が漏れる。
 数多くの皆様が尊い人命を落とされ、一カ月が経過したとはいえ、今だ不自由な避難生活を余儀なくされている。心からご冥福をお祈りしお見舞いを申し上げたい。
 悲しみの極みの中で、心からのお見舞いの一言で語るには、あまりにも痴(おこ)がましい気がする。私どもが最も恐れていた、地震・津波・原発事故の、三重災害の現実である。
 苦しい時に寄せてくれる他人の情ほど、骨身にしみてありがたいものはない。英国の新聞社は、一面全面を使って、日の丸を白字で抜き、日本語で「がんばれ、日本。がんばれ、東北」と書いていただいた。見た瞬間、胸が熱くなる。
 韓国紙は、「隣国に人類愛を見せよう」。  「日本人のマナーの良さはすばらしい。国難を一緒に乗り切ろう」と、中国紙も続く。
 ロシア紙も押していただく。 「いろいろ課題もあったが大切な隣国である。最大限の支援を惜しまない。」
 みんな同じ人間どうし=A当麻中学校校訓の教えを思い起こす。
 「泣き叫ぶ声もヒステリーも怒りもない。列を乱すことなく並ぶ姿に、もちろん略奪など起こらない。日本人の礼節はすばらしい。がんばれ東北!」 世界各国から、被災者を称える言葉が寄せられる。
 東京消防庁の総隊長に寄せられた、妻からの返信メールに心が揺さぶられる。
 「日本の救世主になってください」。愛する夫の命を捨てて、日本を救ってほしいと望む妻はいない。心配ですすり泣く姿を押し殺し、夫の背中を押すその言葉に、私たちは、ありがとうと心の中で手を合わす。
 被災地を離れ、二名(ご夫妻)の方が当麻町にお越しいただいた。消防士を含め、四名の町民の方が被災地に乗り込まれた。
 現地の皆様は何を求めていられるのか、町として、して上げられることは何なのか、四名の方と十分打合せして対応してまいりたい。
 がんばれ、がんばろう……今、日本の心は一つになっている。

(平成23年4月号・広報とうま掲載コーナー・第92回随筆)