「優しく 強く 温かく」 =今が故ふる郷さと頑張り時=

 就任のあいさつで書かせていただきましたが、三度(たび)私を町長に選んでいただいた町民の皆様に、心からお礼を申し上げます。

 責任の重さに身の引き締まる感であり、その願いにしっかり応えていかなければと思っている。
 私は今回の選挙のキャッチフレーズに、〝優しく 強く 温かく〞と =今が故郷(ふるさと)頑張り時= と掲げさせていただいた。
 町民の皆様が支え合い、健常者も障がいを持たれる方も希望を持って暮らせるまち。子供達が、お父さんお母さんとより一層心が触れあい、潤いのあるまち。そこに住む人々が、優しく暮らせるまちづくりを。
 農業を基幹とする産業が、さらに強く頑張り抜けるまちを。
 公共工事の大幅削減に象徴される様に、商工業の厳しさは極限に達している。地方に活力が戻る様、強く訴えていきたいものである。
 先人が開拓の鍬を降ろしていただいて116年、このことを誇りに、町に温かい空気が漂うそんなまちであり続けたいと願っている。
 2期8年間、厳しい町の運営であったが、ご協力いただいた町民の皆様に心から感謝申し上げたい。
 北星・伊香牛・開明小学校の閉校、5つの季節保育園を1カ所に統合、診療所入院施設の廃止、役場職員数の大幅削減等、見直し事例をあげれば列挙にいとまがない。
 反面、ケアハウス・2カ所のグループホーム・知的障がい者授産施設・介護老人保健施設等の開設は、民間福祉法人、医療法人のご努力をいただいているところであり、誠にありがたく思っている。
 施設を必要とされる方々に対しては、相談窓口を役場に集中させ体制を整えているので、きめ細かく対応してまいりたい。
 いよいよ当麻ダムの改修が、本年より本格的にスタートする。
 念願であった駅裏を中心とする当麻川の大規模改修、4丁目道路踏切の改修も調査に入っており、国・道により町の整備が進んでいく事は嬉しく思う。
 3期目のスタートにあたり、初心忘れる事なく、小さくとも、町民の皆様の願いや思いが一つでも実現すべく、全力で頑張る決意である。
 久し振りに厳しい冬であるが、町長室の窓から射し込む陽光は春の足音を伝えている。
 ね年・厳しい冬……豊作の条件は整った。いい年である様願っている。

(平成20年2月号・広報とうま掲載コーナー・第60回随筆)



「東京での二つの集い」

 去る10月13日、東京当麻会の集いが都内のホテルで開催された。
 45名の出席者のもと、極めて和やかな雰囲気の中、古里を想いまちの歩みに熱い心を寄せていただいている姿がそこにある。
 集いの席で、私は毎年町の一年の歩み、課題をお話しさせていただいている。時あたかも秋の収穫時、本年の農作物の収穫状況を申し上げたが、参加者の皆様から異口同音、当麻米は近年本当においしくなった、年々その知名度が高まっていくでんすけすいかの話題等々、その話しは尽きる事がない。
 本年は、町の財政状況について若干説明させていただいた。 『我が町は財政健全化に向けて懸命に努力をしている最中であるが、合併しないで自立への財政目途が立ちつつある。皆様の古里当麻町は、これからも自立していける財政運営に努めてまいりたい』。
 この時いただいた拍手が一番大きく、頑張れとの声をいただく事ができた。夕張問題が連日マスコミの話題となっている中、全国どの地で生活していようとも、やはり古里当麻の行く末を心配されているお姿に心を打たれる。2時間半の集いであったが、どの会合よりも心が和み温かい一時であり、その心は当麻版『3丁目の夕日』である。
 その夜、私の同期生(当麻中学校15回卒業)が急遽集まっていただき、東京同期生の集いを開催していただいた。18名の同期生が集い、その場は正に45年前にタイムスリップし中学3年生である。その顔、姿に、45年の途中歳月は知る由もなく、今浦島の感である。
 中学生当時、我が同期は8クラスであり約400名、団塊の世代の仲間である。過ぎ去った45年間の思い出話は多岐に渡っていた。中学校時代の仲間と恩師の思い出話から家族の話題へと。孫の話になると特に力が入り、健康の話になるとトーンが下がってしまう。45年間の空白を埋めるがごとく、話題は途切れる事なく一気に流れ進んでいく。話しは尽きる事なく、名残惜しみながら来年の再会を約束し、会はお開きとなった。
 町長室の窓に映る夕陽を眺めていると、心はもう来年の東京同期会に飛んでいる。

(平成19年11月号・広報とうま掲載コーナー・第59回随筆)



「心が痛む 面接試験」

 町長の仕事の中で、最も心を痛める努めの一つに面接試験がある。
 新年度、2名の一般職員の採用を予定しており、一次試験から面接試験へとその準備に入っている。我が町も、町民各位のご理解を願いつつ行財政改革を進めており、職員定数の削減はその重要課題となっていた。
 ピーク時と比較すると約30名職員が減となっており、ここ2-3年でさらに十数名の職員が定年退職を迎える状況にある。加えて、勧奨による希望退職者も現れており、新年度は7年振りに一般職2名の新規採用に踏み切ったのである。
 町村を取り巻く状況は厳しく特に地方分権の流れの中で、国・道から各種権限の移譲が推進されている中、優秀な人材の確保育成も我々に課せられた責務と捉えている。
 面接試験は役場から3名、民間人2名の5名で行う予定であるが、各々の採点表を持ち寄り採用者を決定する作業は、その方の人生の進路を決定する瞬間であり、極めて難しく心痛める時でもある。
 当麻町に自分の進路を定め、人生の中でも最も大きな節目である就職に立ち向かう姿勢は正に真剣勝負そのものである。部屋に入った時の挨拶から退室の挨拶まで、その緊張感は極限に達する事と思う。
 なんとかその緊張を解きほぐしてあげようと思うが、その姿が我が子と二重映しとなり、こちらの方が動揺してしまう。プライバシーにふれるような部分はなかったか、受験者の基本的人権を浸すおそれの質問はしなかったか、自分の好みで判断してはいなかったか、自問自答しながら面接は進んでいく。誠意を持って温かく接しているつもりだが、受験生はどう感じただろうか……一人が退室する毎に不安にかられる。
 緊張の一時を終え、採用・不採用の通知を発送させていただくが、その一通一通に心が揺り動かされる。
 特に、不採用通知の一枚一枚に受験者の顔がだぶついてしまう。通知を受けてどんなに落胆するだろうか、失敗した当麻町をどう思われるだろうか、素晴らしい青年だったのに申し訳ない、1週間程自分の心の中で葛藤が
続く。
 また、面接試験は自分の将来を当麻町にかけて来られた人々にとって、私が試されている瞬間でもあると思うと、その責任の重さを一層感じるこの頃である。

(平成19年10月号・広報とうま掲載コーナー・第58回随筆)



「豊穣の出来秋に感謝」

 稲刈り取りの時期を迎え、農家の皆様は収穫の喜びと1年間のご苦労に、思いをはせている事と思う。
 春の田植えから秋の刈り取りまで、気象条件が年々目まぐるしく変化する中で、折々に的確に対応する姿は8年連続北海道一に輝く要因を垣間見る感である。6月の幼穂形成期、7月の出穂開花期、8月の登熟期とその心配は休まる暇がないものとつくづく感じさせられる。
 極めて気象的要因が作況に大きく影響するが、自然の大きさに対応する稲の強さに改めて感心する。そして今、日本食が世界から注目されている。
 世界の人口は、発展途上国を中心に約1億人増加しつづけているが、現在世界中で約10億人の人々が飢えに苦しんでいる。おいしいお米を食べ、豆腐や納豆、みそ汁などの大豆食品と一緒に食する栄養バランスは、先祖の知恵でもある。その生産のど真ん中で生活させていただいている幸せに、我々は今一度感謝しなければならない。
 特に米は、日本人の主食としての地位だけではなく、日本の風土や文化を象徴し、日本人の心を育んできた植物である。弥生時代からの農耕文化を形成し、我々にとっては特別な意味をもった植物であり、心や生活の根源を担ってきた稲である。
 お米を粗末にすると罰があたると教え込まれた私たちは、数年前豊作による余剰米対策として、収穫直前の稲の青田刈りの光景には心を痛めたものである。
 時の流れとはいえ、子供たちはこの光景をどう受けとめたのだろうか。そして心配なのは、若者たちの米離れである。米から離れ欧米化した食生活は、心が荒び殺伐とした事件が多発する現代生活様式に結びついてはいないだろうか。その心配は募るばかりである。
 また、食をテーマに消費者を欺く偽装事件が、北海道から起きた事に怒りを通り越し、ただただあきれてしまう。道産品は、その味は固より安全がキーワードだったはずである。道産米の人気急上昇の要因は、近年の食味の良さに加え安全性が評価されている事は記するまでもない。
 日本食が欧米で大いに評価されている事は嬉しいが、私たちは今こそ米に対する思いを考え直す時にきている様で仕方ない。

(平成19年9月号・広報とうま掲載コーナー・第57回随筆)



「おめでとう当麻中学校女子ソフトボール部」~初の全国大会出場

 当麻中学校女子ソフトボール部が、長年の悲願であった全国大会出場のキップをついに手にする事ができた。本当におめでとう。その快挙に心から拍手を贈りたい。
 第35回の全道大会は、さる7月28・29日別海町において道内各ブロックを勝ち抜いてきた11チームにより、全国大会出場校2校の枠をめぐり、手に汗握る熱戦が展開された。
 昨年、あと一歩のところで涙をのんだ生徒たちの姿がこの1年間、頭から離れる時がなかっただけに今年こそはとの思いと願いを込めて応援に参加させていただいた。
 私と同じ思いを持った選手の家族の声援と熱気は、会場を圧倒していた。
 決勝戦、14年連続全道チャンピオンに輝いている札幌地区の代表と、がっぷり四つに組んだ堂々たる戦いであった。結果は一対二の惜敗であったが、見事全国大会出場2枚目のキップを手にしたのである。
 選手たちの全力で戦い終えたさわやかな笑顔は、別海の澄んだ青空によく似合っていた。
 全国大会出場をかけた、準決勝での勝利は特に感動的であった。サヨナラ勝ちした選手と同様に、中村先生(監督)、応援団の流す涙はその嬉しさを物語っている。
 中村監督のほのぼのとした雰囲気は実に温かく、固く結ばれた選手との太い絆は言葉なくとも一目で分かる。サングラスの奥から、ハラハラと流れ落ちる涙は、監督の顔ではなくすでに父親の顔に変身しているのも微笑ましい。
 女子ソフトボール部に限らず、全道のマンモス校を相手に、堂々と戦いを進める当麻中学校のがんばりは、私たちに感動と勇気を与えてくれる。
 最北の地区代表として出場するあなた方を、岩手県花巻市のグランドは温かく迎えてくれる事と思う。先輩が幾度となく流した悔し涙を胸に、青春のすばらしい思い出とさわやかな汗を岩手の地に残してきてほしい。
 別海での2日間は、感動と忘れかけていた青春を呼び戻してくれた。興奮さめやまぬ中、さわやかな風に送られはずむ心で帰路についた。

(平成19年8月号・広報とうま掲載コーナー・第56回随筆)



「共に考えよう 環境問題」

 本紙掲載の後藤祐夫さんの散歩道でもお話しされているが、最近私のところに環境問題についてのご提言、ご意見が数多く寄せられる様になった。
 21世紀は環境の世紀と言われて久しいが、町民の皆様が環境問題に取り組んでいただけることは誠にありがたく、この輪がさらに広がっていくことを期待している。
 地球温暖化が他人ごとではなく、身近な問題として感じとれるのは、近年の夏の暑さ、集中豪雨の様相だけではなく、地球環境が年々悪化している現状を憂い、将来に対して不安が募っていく姿がそこにあるからだと思う。
 先日友人より、環境問題についてお電話の上、資料をお届けいただき、興味深く読ませていただいた。
 「地球温暖化を心配して、一人ひとりが取り組む小さな積み重ねで、そこから世界が変わっていく」との内容で、その一言一言が我々に警告を鳴らしている様であった。
 今後、町としてこの問題にどう立ち向かっていくことができるのか、極めて重要な課題であり、子供や孫たちに、美しい地球環境を残していかなければならない我々にかせられた責務であると感じている。
 近年、ガソリンの代替燃料として、トウモロコシをはじめとする食糧にその道を求められているが、そのことにより食糧供給を脅かす事態が生じているのも現実である。
 一つ一つの課題を解決しながら、小さなことからまず取り組んでいかなければと思う。
 そんな時に、ミートホープの牛ミンチ偽装事件が発覚したが、いま時こんな経営者がいたのかと、我が耳を疑う様なことが起きる時代でもある。消費者と生産者との信頼関係を根本から崩してしまう大事件であり、「冷凍食品の半額セールをすること自体、販売店も悪いし、喜んで買う消費者も悪い」責任転嫁をする経営責任者の発言にあ然としてしまう。
 〝喜んで買う消費者も悪い〟消費者の一人として、ズシリと心に響く言葉である。
 環境も食糧も、心を寄せる方々の努力が反映され、私たちに安全と安心を与えていただいている。その価値観を認め合い、責任ある一人の人間として歩んでいかなければならないと、反省する日々である。

(平成19年7月号・広報とうま掲載コーナー・第55回随筆)



「がんばろう 当麻農業」

 我が町の名品、キュウリ、でんすけすいか、花の数々が、全国の店頭で活躍する時季を迎えた。8年連続北海道一の米を中心に、そ菜も花も全国に名だたる産地として育ってきたことは、うれしい限りであり、永年積み重ねてこられた生産者のご努力に改めて感謝の念で一杯である。
 その一品一品が高い評価をいただいている我が町だけに、今回農協が起こした事件は誠に残念であり、生産者の皆様の気持ちを察する時、心が痛む。町長室にも道内外より数多くのお叱りを受けた。
 「行政として解決に向けてしっかり指導せよ」「当麻町のイメージダウンになる。早く今回の原因を明らかにせよ」「生産者の皆様がかわいそうでならない。がんばってほしい」「解決に向けて町長の力が直接及ばないと知り
つつ、どうしようもなくメールしました」……などなど。
 お寄せいただいた声はそのとおりであり、その心情もよく理解できる。そして、問題解決の難しさもつくづく思い知らされた。
 一つ農協に止まらず、町にとっても大きな問題であるととらえ、町内団体代表の方々にもお集り願い対応についてのご意見を伺ってまいった。折々に、早期解決へ向けての意見を申し伝えてまいったが、JAという極めて公共性の高い経済団体であり、運営されている役員の皆様が日夜解決に向けて協議を重ねていること、また、弁護士・上部機関の指導を受け行動されていること等、行政の一方的指導による解決が困難であったことは理解いただきたいと思う。その間、マスコミ等で報道される度に胸が締めつけられる思いであったが、町民の皆様も同じ心情であったことと思う。
 いずれにしても、二度とこの様な事が起きない様、役職員が一丸となって信頼される職場づくりに取り組んでいただけることを強く願っている。生産者の皆様も今回のことにめげずにがんばっていただきたい。
 5月には道内のあいさつ回りを終え、6月上旬、生産者・JAの皆様と仙台、八王子、名古屋、大阪、姫路まで、お取り引きいただいている先々にお伺いする予定となっている。
 新たにスタートラインに着いた気持ちでがんばってやろうと、自らに言い聞かせている。生産者の永年の努力が消費者に伝わらないはずはない。
 『がんばろう当麻農業!!』

(平成19年6月号・広報とうま掲載コーナー・第54回随筆)



「さようなら 開明小学校」

 12名の議員さんを選んでいただき、統一地方選挙は終わりを遂げた。
 他町村よりもいち早く、4名減の議員定数を自ら決めて挑んだ選挙だったが、各々が厳しい自らとの戦いだったことと思う。今回の統一地方選挙は、何かと話題の多い選挙でもあった。
 全国的な関心を集めた夕張市長選挙は、7名の勇士(?)が夕張の再建に思いをかけ、市のかじ取り役を担う市長を目指す姿は、連日マスコミを賑わし続けていた。この賑わいが一過性のものではなく、マスコミもやがて潮が引いていくがごとくの扱いではなく、再建に向けての今後の取り組みについて注意深く見守ってほしいものである。
 長崎市伊藤一長市長の射殺事件は、正にショッキングな出来事であった。選挙運動中の射殺とは、この民主主義国家における出来事かと、我が耳を疑ったのは町民の皆様も同じ思いだったと思う。また、新市長として、故人の肉親からではなく、市役所の前課長を市民が選ばれたことにも驚かされた。情一辺倒ではなく、誰がまちづくりのリーダーとして相応しいか、住民が選んだ新しい形の選挙であった様な気がしてならない。
 我が町の議会も大きな改革の中にある。昭和50年には26名在籍されていた議員数。今回の選挙から12名へと削減していただいた。
 常任委員会も3から2へ、どこかの議会では費用弁償が高額だと批判されているが、我が町ではすでに全廃されており、期末手当も減額しこの5月からは、議員報酬も削減される。
 議会はもちろん議決機関であり、まちづくりのチェック機関であることは記するまでもないが、反面厳しい町の運営を強いられている今日、行政とともに車の両輪となって町民の幸せづくりのために、共に汗を流していく時と捉えている。
 今回の改選により、2名の新しい議員さんを議場にお迎えすることになった。町にとっては、初の女性議員の誕生でもある。初心に返って、12名の議員さんとスクラムを組んで、町民の皆様の願いや思いに少しでも近づくまちづくりを進めていかなければと、自らに言い聞かせている。
 今月は町長室の窓から離れ、東京出張からの帰路、飛行機の窓から移りゆく景色を眺めながらペンを走らせている。

(平成19年5月号・広報とうま掲載コーナー・第53回随筆)



「さようなら 開明小学校」

 開明小学校は半世紀をこえる校史に幕を閉じた。
 その閉校式と惜別会が去る3月18日、児童や地域の皆様、歴代教職員をはじめとする来賓の皆様、そして多くの同窓生の皆様が相集い挙行された。
 開明小学校の歴史は開明開拓の歴史そのものであり、先輩諸氏の血のにじむような努力と尊い汗がこの大地に染み込んでいることを思う時、感慨無量なものがある。
 昭和21年4月に、当麻国民学校の開明分教所としてスタートし、1,022名の卒業生が全国各地で活躍されていることは誠に喜ばしい限りである。
 昭和34年には、335人の児童が学んでいた学校。誰が今日の児童数を予測できただろうか。
 輝かしい歴史と伝統を築いてこられたが、農業情勢の厳しさと社会の大きなうねりの中で全学年9人を数える児童数となり、PTAと地区協議会は閉校の決断を下されたのである。
 同窓生の皆様にとって思い出多い母校の閉校は、断腸の思いであり何ものにも代え難いさみしさであると思う。特に地域の皆様は、閉校の決断をしたとは申せ開明小学校の灯火が消えるということは、時代の流れと自らに言い聞かせつつ誠に忍び難いものと推察する。
 数々の想い出を残していただいたが、中でも私は地域の人たちと子供たちの共同作品展「田んぼの中の小さな美術館」の開催を毎年心待ちしていた。
 会場に足を踏み入れ、児童の水彩画や写真に出会うと何かホッとし、心が和む。写真や絵画に登場する人々は実に生き生きとしており、描かれている建物や風景はなぜか温かい。子供たちの気持ちが見事映し出されている美術館であった。
 作品を通して子供たちに自信を持ってもらおうと、この「田んぼの中の小さな美術館」を発案したのは、当時校長だった日暮和子さんである。その日暮和子さんには、この4月より町立当麻幼稚園の園長先生にご就任いただいたのも、何か歴史が取りもつ縁を感じる。
 惜別会は、さながら開明地区の同窓会の様相であった。全国各地から卒業生が相集い、いつまでも思い出話しに花を咲かせていた。
 これからも、この地で築かれた歴史と伝統が受け継がれ、開明地区の新たな門出と発展を願いながら、思い出多い校舎を後にした。

(平成19年4月号・広報とうま掲載コーナー・第52回随筆)



「第30回当麻クロスカントリースキー大会」

 大雪山連峰に抱かれ、抜ける様な早春の青空の下、第30回当麻クロスカントリースキー大会が開催された。
 素晴らしく整備された開明清水川クロスカントリースキーコースに、道内各地から272名の子供達をお迎えしての開催である。
 運営されるスタッフの数にまず驚かされる。ボランティアの力をお借りし、子供達の親、OB、地域の皆様が一致協力して、毎年素晴らしい大会を開催していただいている事に頭が下がる。
 本年は、数日前に季節外れの雨に見舞われ、コース造りに大変なご苦労があった事と思うが、当日のあの晴天と頑張る子供達の顔を見た時、そんな苦労も一変に吹き飛んだ事と思う。
 小学1年生から中学3年生まで、その走る姿は実に美しい。特に、低学年の子供達のあどけない顔と見事なスキーウェアに、思わず顔がほころんでしまうが、スタートの合図と同時に、その力強く美しい走りにはただただ驚くばかりである。選手の両親は勿論、祖父母を交えての応援風景は、なんともいえない暖かい空気が会場に漂っている。
 第30回、正に歴史を顧みる大会でもある。開明地区の皆様が、手探りの中からスタートした大会も、幾多の試練を乗り越えられ道北の名物大会として定着してきたのである。
 大会長であり子供達の指導者である今井彰則さん、ハウスの提供をはじめ競技全般に指導いただいている美頭一三さんをはじめ、100名を越えるスタッフの皆様のご尽力に改めて感謝を申し上げたい。
 新聞、テレビ等では、連日暗く悲しい話題が報道され、人の温かみが薄れてきた感が強くする昨今だが、子供達の笑顔とスタッフの皆様の頑張りを見ると何かホットする自分がある。
 過去、この大会に出場された方が、今や大会運営のスタッフとしてお手伝いしたり、子供達の指導者として活躍している姿を拝見し、改めて30年の歴史の重みを感じる。
 町長室の窓から射し込む陽光も日一日と春の訪れを告げており、数々の思い出を残して平成18年度も終わりを告げようとしている。

(平成19年3月号・広報とうま掲載コーナー・第51回随筆)



「風景も心も美しい国へ」

 穏やかな新年の幕開け。シバレもきつくなく、ドカ雪もなく過ごしやすい冬に感謝している。
 半面、TV・新聞等は心痛む事件を連日に渡り大きく報じている。若い父母による幼児虐待やいじめを苦にした小中学生の自殺、新年に入ると兄妹や夫婦が被害者と加害者となってしまう殺人事件、あげくに切り刻んで死体を遺棄するといった悲惨なニュースが後を絶たない。どうしてこんな世の中になったのかと、暗たんとした気分になってしまう。
 加えて、消費者の信頼を欺いた不二家の経営感覚、テレビの報道番組のデーター捏造(ねつぞう)問題、危機管理不足により死者まで出してしまった北ガスの事故と、食と生活の安全すら冒される昨今の出来事である。そんな時であるからこそ、今月号の佐々木英美さんの「リレーエッセー散歩道」を読むと心が和みホッとする。
 美しい国・日本とは逆行し、格差が広がり人の心がどんどんすさんでいく様な気がしてならない。
 地方交付税の算出基準も人口規模の比重が高まり、地方自治体はますます窮地に追い込まれていく感、大である。
 今こそ、農山村の持つ価値を改めて考え直す時がきていると思う。美しい日本の原風景は田園にあり、古里の山や川はそこに住む人々を優しく包み込んでくれている。
 風景にとどまらず、水源の涵養(かんよう)や空気の浄化、国土の保全など、さまざまな公益的機能を地方が担っている事は疑う余地もない。農山村の多面的機能が損なわれば、農山村だけでなく日本全体の危機を招くのである。
 都市と農村が共生する事により、風景も人の心も文字通り美しい国日本へと進んでいく。
 日本は先進工業国として目覚ましい発展をなしとげてきたが、その繁栄の裏には厳しさを増す農山村の姿を頭に入れておかなければならない。日本農業は、繁栄する日本工業の犠牲となっているといっては言い過ぎだろうか。
 新年を迎え、自信と誇りを持てるまちづくりに、町民と共に頑張っていかなければと、決意を新たにしているこの頃である。
 風景も心も美しい日本を目指して……。

(平成19年2月号・広報とうま掲載コーナー・第50回随筆)



「合唱曲「みなまた」より~当麻コールデイジー30周年記念コンサート」

 当麻コールデイジー30周年記念コンサートが、文化センター満員の熱気の中、さわやかに華やかに開催された。会員の素晴らしいハーモニーに心打たれるのは当然だが、指揮者であり熱心にご指導いただいている工藤昌晴先生のお話にいつも感動を覚える。
 人に優しく、豊かな大地と食と山なみに育まれて歩んで来たコールデイジーへの思い、歌を通しての思いやり、励まし……先生の言葉の一言一言は、私の心に深く染み込んでいく。
 当日は、合唱曲「みなまた」よりでも表現していただいたが、「水俣病」について穏やかな口調の中に慈愛を込めてお話しされていた。「きれいな水が集まり、風光明媚な有明海に面したまち水俣市が、チッソ公害により恐ろしい水俣病のまち水俣になってしまった。水俣と言えば水俣病と返ってくるほど、悲惨な過去がある。もし我が町に恐ろしい公害病が広がり『当麻病』と言われ恐れられたら私達はどんな思いをするだろうか、悲しい事である」。会場は静まり返り、あの水俣病に思いをはせる。
 2001年2月、私は環境都市に変貌したまちづくりを勉強したく水俣市を訪れ、吉井正澄市長から2日間に渡り、水俣病を乗り越えて環境都市へ取り組む熱い思いを聞かせていただいた事を昨日の様に思い起こすのであ
る。「全国市長会の集いで『ミナマタ』と言う知名度は高く声をかけていただくが、残念な事にそれは公害の町、悲惨な悲劇の町という暗いイメージの知名度である事は説明の必要はない。この事は、結婚話の破談とか、就職の解消とか、修学旅行の差別とか、多くの人々を傷つけ『水俣とは言いたくもなく、聞きたくもない』と水俣を呪わせた。『有機水銀中毒症』と付けるべき公害を、『水俣症』と呼ばれる事に怒りを抱いた市民は多く、病名の変更を国に求める運動も起こさせた。水俣病という公害は、水俣のすべてを目茶苦茶にしてしまった。しかし、水俣市民は努力してマイナスイメージをプラスに価値転換すべく、環境モデル都市として再生し、世界的に注目される水俣になる事ができた」。
 吉井市長の一言一言に目頭が熱くなり、心が揺れ動いた2日間であった。
 私が「町長への手紙」に取り組んだきっかけは、吉井市長の「市長への手紙」の影響である。
 水俣市への思いと重ね合った、素晴らしいコンサートであった。

(平成18年11月号・広報とうま掲載コーナー・第49回随筆)



「中学生との夏の思い出」

 10月1日に行われた演劇公演「俺たちの甲子園」で、当麻中学校の頑張った夏も終りを告げた。
 途中雨に見舞われたが、全員の力を結集して臨んだ体育祭。青春の汗と涙が、忘れえぬ思い出を作ってくれたクラブ活動。笑いと感動を与えた学校祭。
 生徒達にとって、一つ一つが貴重な経験でありかけがえのない友との絆であったと思う。
 私も時間の取れる限りその感動を共有させていただいた。 一打一打に手に汗し、あと一本で涙を飲んだ団体戦の悔しさを、個人戦で見事リベンジしたソフトテニスの全道大会。少し早起きし、伊達市へ応援に行ったソフトボールの戦いも素晴らしかった。
 あと一歩のところで逆転を許し、1点に泣いた戦いは応援していた私達の胸を締めつける涙であった。号泣する選手達に掛ける言葉すら見つからず球場を後にしたが、駐車場へ向かう私達の後ろを歩く審判団の言葉が、今も強く耳の奥に残って消え去る事がない。「当麻中学校のペースだっただけに生徒達の涙は分かるよな。いい試合だった。どちらも勝たせてやりたかった…。」その通りの戦いであった。
 学校祭の私の主張も毎年楽しみにしている。今年も、たくさんの思いや感動を聴かせていただいた。
 「ゲームやテレビでの笑いではなく、会話や生活の中から生じる笑いを大切にしたい。」「言葉を大切にしたい。言葉は凶器にもなり、人を救う手段にもなる。」「四本指の韓国人ピアニストの演奏を見て考えさせられた。自らの幸せ過ぎる生活を見詰め直し、感謝の気持を持って暮らしていきたい。自分に欠けていたのは生きる喜びである。」「全道大会に出場できたのは喜びも悲しみも共にする事ができた仲間がいたから。全国への夢は叶わなかったが、21人の中の一人である自分を誇りに思う。」「普通の生活を送れる幸せを自覚し、小さな幸せを感じられる人間になりたい。」「祖母の死に直面して本当を知る勇気に出会った。何も知らない方が良い時もあるが、自分は真実と向き合って逃げずに生きていきたい。」
 緊張感と戦いながら、しっかり発表する生徒の姿は実に清々しい。

(平成18年10月号・広報とうま掲載コーナー・第48回随筆)



「優しさと美しさを追い求めて」

 ベストセラーの『昭和史』・著者の半藤一利さんはこうおっしゃった。「ある女子大で50人の学生に第2次世界大戦で日本と戦争をしなかった国はどこかと質問をしたら、その内の10人をこえる人達がアメリカと答え、驚愕した」と。
 それを伺い、私も驚いたが、「仲の良いアメリカと戦争なんてするはずがない」と少女たちは思っていたのであろうか。私たちが辿ってきた道のりを知り、どう今後に生かしていくか……。
 歴史に学ぶことの大切さを若い人たちに語りはじめたところ、真実に迫る筆者の勢いは老若男女の心を捉えて、大ベストセラーになったのである。=NHK番組キャスターの加賀美幸子さんはこう語られている。
 今、靖国問題をはじめ昭和の歴史が話題を集めている。
 日露戦争の勝利に自らを失い、自信過剰となりあの第2次世界大戦へ進んでいった反省の歴史であり、また、国民一丸となり復興のため勤勉と礼節を重んじながら歩んできた歴史でもある。
 そして今、社会の絆が希薄になり誰もが将来に不安を抱く時代が訪れたのである。
 格差社会、経済原理一辺倒により日本の心が歪んでしまい、拝金主義に陥ってしまった現状を昭和の歴史はどう見ておられる事だろうか。
 小さな町村の営みを顧みない国の有り様にため息をついている事と思う。
 昨今の韓流ブームに考えさせられる。
 日本の良き時代の礼節がそこにあり、純心な恋愛感情であり、深い家族の絆は私達に憧れと反省を与えていただいている様で思いは複雑である。
 信じたくない事件や人の良心を欺く出来事が連日報道されているが、いつしか私達は優しさや美しさに強い憧れを抱いているのではないだろうか。
 旭山動物園や美瑛・富良野の景色に憧れて人々が動くのは、そこに優しさや美しさを追い求めている証しだと思う。
 私も最近読んだ本の題名に〝美〟という字が多い事に気付くのである。
 「美人の日本語」「美しき日本の面影」「美しい国へ」
 景観も、心も美しいまちづくりでありたいと願っている。

(平成18年9月号・広報とうま掲載コーナー・第47回随筆)



「七冊目の町村長手帳」

 毎年全国町村会から町村長手帳が贈られる。
 私もそうであるが、全国の町村長はパソコンと併わせて、この手帳で日程・行動管理を行っている。
 使い始めは真新らしい手帳も、12月には相当くたびれてしまい、毎日見開きする指の当たる部分は、黒く変色してしまう。
 私は現在、7冊目の町村長手帳を使用しているが、その内容は1年間の歩みそのものであり、たくさんの思い出もその中に記されている。
 時折過去の手帳にも目を通し、その時々の出来事を思い起こしている。
 元旦の町新年交礼会に始まり、12月30日の役場御用納めで手帳は役目を終えるが、大晦日の夜、私は神棚に手帳と決裁印を捧げ1年のお礼を申し上げる。
 毎年繰り返し記されている年中行事、役場内部の打ち合わせ会議、楽しかった祝賀会での思い出、悲しく心が痛んだ葬儀の日程等々、この手帳は思い出づくりと共に日々私の行動を導いてくれている。
 初めて手帳にペンを落とした2000年2月2日から今日まで、激しい時代の流れと共に歩んで来た事を思うと、ことのほか愛おしく思う。
 町の運営がこれ程まで大きく変革するとは、私と同様にこの手帳も予測できなかった事だろう。
 自助努力の限界を越えた地方経済の荒波に飲み込まれ、町を代表する優良企業もその歴史に幕を閉じてきたのも現実である。
 企業経営の歴史やノレンの力を生かしきれない、経済原理一辺倒の流れに寂しさを禁じえない。
 厳しい環境ではあるが、農業の頑張りには活力をいただいている。道内は基より全国を舞台にしての大活躍である。
 町長室の窓から見える風景も年々大きな変化を見せている。
 ニュータウンとうまには、今風の住宅が建ち並び、子供達が元気に遊び廻る姿はまさしく新しい街とうまである。
 子育て支援センターに通う、小さな子供と若いお母さんの姿を窓下に見つけると心が和む。
 大きな姿の介護老人保健施設も、夕刻になると柔らかな光が窓を照らし、そこで過ごす人々を優しく包み込んでいる。
 明日からまた、この手帳には町のどんな歩みが記されていく事だろうか。

(平成18年8月号・広報とうま掲載コーナー・第46回随筆)



「リレーエッセー『散歩道』」

 この「窓」に取り組んで、早いもので4年半の歳月が流れ去ろうとしている。
 平成13年12月に頂いた、1通の〝町長への手紙〟が発端である。
 『昭和30年当麻町に嫁ぎ、途中10年余りこの町を離れましたが、帰町後新鮮な目で見た町は、広大で起伏に富み豊かな大自然に抱かれた土地だったのだと、改めてすばらしさを認識しました。人口が減り老齢化していくのは残念だけれど、きっとこの町の良さを知り、多くの人たちが集まってくることに期待し、町を愛おしむ心を忘れたくないと思います。
 その中で、広報紙我が郷土は読みやすい文字と豊富な写真で楽しく拝見させていただいております。これからも、町の様子をたくさん教えていただくのを楽しみにしておりますが、さらに道新朝刊に載っている「朝の食卓」の様な欄が設けられたらとてもうれしい限りなのですが……。』
 お手紙の内容はこんな主旨であった。
 手紙を書いたり、自分の思いを活字にする事にはまったく無縁であったが、いただいたお手紙に感動し、清水の舞台から飛び降りる覚悟で〝町長室の窓から〟に取り組んだ事を昨日の様に思い起している。
 読んでいただいた方から、感想やご批評をいただける事もうれしく思う。
 近隣の町長も、広報紙の中で最近同じ様な欄を設けられたり、町長への手紙に取り組まれている事は励みにもなる。
 今月号から、リレーエッセー「散歩道」を始めさせていただいた。
 町民の方々が、まちへの思いや、自らが歩んで来られた思い出を、この「散歩道」で綴っていただければありがたく、その道はいつまでも続いていく事を願っている。
 町民の皆様にも、この欄をお読みいただき、心の「散歩道」にしていただければと思う。
 「散歩道」のスタートは、4年半前に町長への手紙をお寄せいただき、〝町長室の窓から〟のきっかけを作ってくださった、白鳥八代子さんにお願いした。
 我が郷土『みんなの広場』は、文字通り町民皆様の広場になっていくのである

(平成18年7月号・広報とうま掲載コーナー・第45回随筆)



「町長も売り子お米と町おこし」

 先日、旭川にお住まいで日頃からご指導いただいている高校の先輩からお便りをいただいた。
 『今朝、北海道新聞の〝どうしん川柳〟を読みました。町民の方が、日頃の町長の活躍の様子を詠んだものだと思います。これからも、当麻町に期待しておりますので頑張って下さい。』との内容であった。
 =町長も売り子お米と町おこし=がその川柳である。
 まちづくりの話題をマスコミが取り上げていただいた時は嬉しく思い、〝当麻〟という活字が一段と大きく見え、なぜかすぐ目に飛び込んでくるのは町民の皆様も同じ事と思う。
 当麻町にかかわりある方も我が町を気に留めていただき、折々にお手紙をくださったりお電話をいただける事は、大変ありがたく心強く思う。
 我が町とご縁をいただいている多くの皆様にもご来町の上、力を貸していただいている。
 当時内閣官房参与だった中山恭子さんには、拉致問題を熱く語っていただいた。ご両親は我が町の出身であり、ご本人は屯田四世である。テレビで拝見する優しく気品あふれるお人柄は、お会いしても変わる事なくその語りのとりこになってしまう。
 当麻産のバラ年間出荷100万本を願って、加藤登紀子さんのバラ施設視察と、コンサートの開催も楽しい思い出である。歌同様、書の素晴らしさに驚き、お登紀さんを囲んでバラ生産者ご夫妻と共にした夕食会は事のほかおいしかった。
 また、来月には、NHK解説者の合瀬宏毅さん、アナウンサーの桜井洋子さんにもご来町いただける事になっている。お二人は、でんすけすいかが一昨年NHKたべもの新世紀で約30分間全国放映された番組の担当者である。でんすけすいか日本農業賞大賞受賞祝賀会がNHK本社で開催され、会場でお会いできたお2人に、勇気を出してご来町いただきたくお願いをした。NHK旭川の小林局長さんの特段のお力添えをいただき、我が町で受賞記念イベントを開催できる楽しみを、今から心待ちしている。
 多くの皆様の力を借りながら、町民と共に歩むまちづくりは、スローではあるが一歩一歩進んで行くのである。

(平成18年6月号・広報とうま掲載コーナー・第44回随筆)



「国の精神が壊れ地域が壊れてしまう」

 『いのちをもらって、いのちを燃やす。それが生き物の営みである。何をどう食べているかで、その生き物の正体がわかる。人もまた例外ではない。食が壊れれば、体が壊れ、精神が壊れ、家庭が壊れ、地域が壊れる。私たちは今、その光景を目の当たりにしている。おふくろの味の喪失とともに、文化の土台が崩れていく』。ある食育ジャーナリストの言葉である。
 心を揺さぶる言葉であり、大都市中心に進めている国づくりの姿に、警告を鳴らしている感がある。
 国が強力に推進している市町村合併についても、構造改革・財政改革に重点が片寄り、まちづくり国づくりの精神が置き去りにされている気がしてならない。町の財政の行く末は厳しく、自立へ向けて相当の覚悟を強いられるが、合併による町民サービスのメリットを示す事ができない苦しさが募る。
 町民の皆様から、こんなご質問をいただく機会が多い。
 市町村の姿として、人口おおむね3万人程度を基礎的自治体としたいと新聞報道があるが、管内の3万人程度の市と比較して、当麻町がどの部分の町民サービスが不足しているのか町長、示してほしい。我が町の職員レベルが低いのか、農業を中心とする産業振興が遅れているのか、除雪サービスが悪いのか、具体的に示してほしいとの声をいただく。
 当然私は返答に窮する。
 町民サービスへの痛みも出てきているので、厳しい声もいただいているが、限られた財源を有効的に活用し、創意と工夫を凝らし活力を失う事のないまちづくりのスタートを切ったところである。
 国から権限を地方へ下ろす受け皿として、ある程度の人口規模が基礎的自治体として必要であるとの話しであるが、そんな心配はご無用であり、どんどん地方へ下ろしていただきたい。それに伴う財源も下ろしていただく事は当然である。
 我々が苦しいのは、権限と仕事の量は下りてくるが、財源がさっぱり伴わないからである。地方交付税の大幅削減だけでも悲鳴を上げているのに、さらに補助金等の削減・中止が相次いでいるのが現状である。
 国民格差が大きな社会問題となっているが、都市と地方の格差も年々増大している。このままでは、国の精神が壊れ地域が壊れてしまう。
 我々には、北海道の食を残し地方を残す責務がある。

(平成18年5月号・広報とうま掲載コーナー・第43回随筆)



「“チャンスはピンチでありピンチはチャンスである”」

 当麻中学校の卒業式は、毎年私達に大きな感動を与えてくれる。
 社会情勢が険しく、心地良い感動を味わう事が少なくなった昨今、愛する母校との別れのセレモニーに、参列者は全員心打たれ胸を熱くする一時である。
 卒業生の涙は、決して悔し涙ではなく後悔のそれでもない。
 同級生との恩師との別れの辛さであり、言葉にはできない父母への感謝の涙がそこにある。
 在校生の涙は、卒業生との別れを惜しみ、数々の導きにありがとうを伝える涙である。
 その光景を目の当たりにし、参列者も感動の涙を抑える事ができない……式場の体育館には、一滴(ひとしずく)の涙とともにさわやかな春の風が流れていた。
 卒業生の旅立ちに当たり、私はこんな言葉を贈らせていただいた。
 「人生には山があれば谷もあり、チャンスの時もあればピンチの時もある。チャンスの時には、何か落とし穴が無いか一歩下がって足元を見詰め直し、ピンチの時には、くじける事なくこれを乗り越えてチャンスに変えるべく頑張ってほしい。
 最近の出来事も見てほしい。昨年の大会でことごとく全国制覇し、今春の選抜でも優勝候補の最右翼と目されていた駒大苫小牧高校が、卒業式後のたった一夜の行動で最大のチャンスから、思いもよらなかったピンチが訪れたのである。そこにいた誰かに一歩踏み止まる勇気があったらと思うと残念でたまらない。
 逆に、でんすけすいかを見てほしい。1983年の秋、収穫目前にした水稲が一夜にして雪の下になり、史上まれにみる冷災害に見舞われた。時あたかも水田減反政策が厳しさを増しており、我が町の水田経営にピンチが訪れていた。この逆境に農業青年15名の有志が立ち上がった。米の収入が減るのであれば、田を助けるこだわりの特産品を我々の手で作り上げよう。青年の夢とロマンを懸けて誕生させたのがでんすけすいかである。
 22年間、試行錯誤幾多の苦難を乗り越え、ブランドすいかを作るというこだわりと結束が、日本農業賞大賞という日本トップの受賞に輝いたのである。卒業される皆様もこの事を心して、チャンスの時には決しておごる事なく高ぶる事なく、逆にピンチの時にはひるむ事なく校訓である開拓魂で頑張ってほしい」
 この事はまちづくりの基本的理念である。〝チャンスはピンチであり、ピンチはチャンスである〟私にとっては座右の銘である。

(平成18年4月号・広報とうま掲載コーナー・第42回随筆)