「自然のなかで」 阿部真猛さん(5西3)

 私のお寺は庭が広いので、四季を通して清掃や庭の手入れに家族みんなで一年中汗しています。
 お経の中には家の内外の清掃をすることは自分自身の心の掃除をすることなのだと教えられていますので文句は言えません。四季の内で一つの季節だけでも休めないないものかと思っていますがそうはいきません。
 雪解けが終わって去年の残りの枯葉を拾っていると一番にタンポポや福寿草が顔を出します。私は久しぶりに会った友達のように「長い間雪の下で大変だったネ」と声をかけます。やがて一週間ほどするとあちこちの花たちが先を競って咲き出します。草花ばかりではなく桜・つつじ・真っ白なモクレン、どの花からも頂いた心の安らぎにお礼を言いたくなります。
 花々と一緒に雑草たちが一気に成長します。どんな条件でもまるで強さを見せつけあっているかのようです。
 私たちは今度は草取りにと草刈りに追われます。花や木を痛めないように草刈り機を使うのは大分の年季が必要です。それでも大切な花木をチョンギッテしまった時は心臓までこたえます。
 晩秋まで何回も何回も草刈りです。秋はまた見事な木々たちの衣装替えです。見とれているのは束の間で、強風や寒さで次々と無数の葉が境内に落ちてきます。落ち葉です。せっかくきれいにした庭に風が吹くとまた掃除が始まります。我が家は全部で九人の家族です。人間は使い放題です。途中でキャッチボールをする子が出てきます。枯葉の布団に飛び込む者もいます。
 やがて冬が間違いなくやってきます。孫は早く沢山雪が降らないかなアーとため息をしています。大人は少しでも遅い初雪を祈っています。時期がくればどんどん雪が降ります。こうなったら健康のために大変いい運動だと自分に言い聞かせ半年雪との格闘です。お陰様でお寺の中はみんな元気でおります。でも少々体にこたえてくるようになりました。


(2018年6月号・広報とうま掲載文より・第132回エッセー)