「ゆとりと呼ばれて」 正道 杏季さん(中央2区)
私は平成2年生まれ、今年23歳になります。専門学校卒業後に就職し、今年社会人4年目です。平成生まれの私たちが社会に出て働く時代になりました。
平成生まれの私たちは学生時代、7時間授業がなくなり土曜も学校は休み。「ゆとり」が始まったのです。
当時は幼かったために深く考えず、勉強する時間も減り休みも増えたことに喜びを感じることもありませんでした。気付いた時から「ゆとり」が始まっており、「ゆとり」が普通でした。
大人になった「ゆとり」世代の私たちは、失敗をすると「ゆとり」だから、会社を辞めると「ゆとり」だから、と何をすることにも「ゆとりだから」と「ゆとり」を理由にされることの多い生活をしています。
そんな「ゆとり」世代の私たちを、一部の人たちは「失敗作」と言います。私たちの過ごした年月を否定するかのように、呆(あき)れた感情で「失敗作」と。
「ゆとり」の私たちも内面的に弱い部分、忍耐力のない部分などあります。ですが、それは「ゆとり」だからなのでしょうか。「ゆとり」は、後付の理由にしか過ぎないと私は思います。
「失敗作」と言われ私は悲しいです。まだ二十数年しか生きていませんが、今まで過ごしてきた年月に後悔はなく今も過去も大切な思い出なのです。「ゆとり」の私たちも、わからない事、できない事たくさんあります。ですが「失敗作」と言わないでください。
いつか「ゆとり」を理由にされない日が来た時、私たちは「ゆとり」を卒業し「成功者」になるからです。
(2013年7月号・広報とうま掲載文より・第78回エッセー)
平成生まれの私たちは学生時代、7時間授業がなくなり土曜も学校は休み。「ゆとり」が始まったのです。
当時は幼かったために深く考えず、勉強する時間も減り休みも増えたことに喜びを感じることもありませんでした。気付いた時から「ゆとり」が始まっており、「ゆとり」が普通でした。
大人になった「ゆとり」世代の私たちは、失敗をすると「ゆとり」だから、会社を辞めると「ゆとり」だから、と何をすることにも「ゆとりだから」と「ゆとり」を理由にされることの多い生活をしています。
そんな「ゆとり」世代の私たちを、一部の人たちは「失敗作」と言います。私たちの過ごした年月を否定するかのように、呆(あき)れた感情で「失敗作」と。
「ゆとり」の私たちも内面的に弱い部分、忍耐力のない部分などあります。ですが、それは「ゆとり」だからなのでしょうか。「ゆとり」は、後付の理由にしか過ぎないと私は思います。
「失敗作」と言われ私は悲しいです。まだ二十数年しか生きていませんが、今まで過ごしてきた年月に後悔はなく今も過去も大切な思い出なのです。「ゆとり」の私たちも、わからない事、できない事たくさんあります。ですが「失敗作」と言わないでください。
いつか「ゆとり」を理由にされない日が来た時、私たちは「ゆとり」を卒業し「成功者」になるからです。
(2013年7月号・広報とうま掲載文より・第78回エッセー)