「無題」 椎原 真弓さん (東 1)
以前、本州に住んでいたころ、知人から「これ1玉5千円のスイカだから拝んで食べなよ!」と、真っ黒で巨大なスイカをご馳走になった事がありました。見た目と値段に慄きつつも至福のひと時だった事を憶えています。
その後、北海道へ戻り、主人の転職と長男の小学校入学に合わせて当麻町へ移住。その年の夏、あのスイカと運命の再会を果たしたのです。あれはでんすけだったんだ!と、懐かしく嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
三方を海で囲まれ漁業と酪農が盛んな根室半島で生まれ育ち、父・祖父ともに漁師で、暮らしの中にはいつも海がありました。真夏でも踝まで浸かるのがやっとの冷たい海、街はいつも霧に覆われ霧笛が響いていますが、良く晴れた日は母方の祖父の故郷、国後島が見えます。冬は流氷が接岸して折り重なり、ギチギチと音を立てています。
北海道に限っては、その様な年中寒い道東の四季が私の基準なので、当麻へ来てからは驚きと感心の連続でした。見渡す限りの水田とハウス、露地で生っている野菜。桜の木も高く太く、蛇とスズメバチが道内に生息している事も身を以て知りました。あれは怖い。
夏は溶けるほどに暑く、冬はひび割れるほどに寒く、朝晩と日中の寒暖差に辟易していますが、そういう気候だからこそ美味しい農作物が育つと教わりました。
漁と農作業を経験し、どちらも大変な仕事としか感じていませんでしたが、父と亡き祖父、農業に転職し6年経った主人を見て、それは尊い仕事で生命その物だと。そう深く気付いたのです。
(2012年7月号・広報とうま掲載文より・第67回エッセー)
その後、北海道へ戻り、主人の転職と長男の小学校入学に合わせて当麻町へ移住。その年の夏、あのスイカと運命の再会を果たしたのです。あれはでんすけだったんだ!と、懐かしく嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
三方を海で囲まれ漁業と酪農が盛んな根室半島で生まれ育ち、父・祖父ともに漁師で、暮らしの中にはいつも海がありました。真夏でも踝まで浸かるのがやっとの冷たい海、街はいつも霧に覆われ霧笛が響いていますが、良く晴れた日は母方の祖父の故郷、国後島が見えます。冬は流氷が接岸して折り重なり、ギチギチと音を立てています。
北海道に限っては、その様な年中寒い道東の四季が私の基準なので、当麻へ来てからは驚きと感心の連続でした。見渡す限りの水田とハウス、露地で生っている野菜。桜の木も高く太く、蛇とスズメバチが道内に生息している事も身を以て知りました。あれは怖い。
夏は溶けるほどに暑く、冬はひび割れるほどに寒く、朝晩と日中の寒暖差に辟易していますが、そういう気候だからこそ美味しい農作物が育つと教わりました。
漁と農作業を経験し、どちらも大変な仕事としか感じていませんでしたが、父と亡き祖父、農業に転職し6年経った主人を見て、それは尊い仕事で生命その物だと。そう深く気付いたのです。
(2012年7月号・広報とうま掲載文より・第67回エッセー)