「幸せは 耳かき 孫の手 つまようじ」 笹木 敏勝さん (3東3)
ある日のこと、幼児がお友達と楽しく追いかけっこをしていました。ところが転んでしまい、大泣きしてなかなか泣きやまず、痛みも治まっているはずなのに泣き続けるということがありました。一緒に遊んでいたお友達は、途方に暮れて「だいじょうぶ?」「いたい?」と声をかけています。
でも、しばらくして子どもたちは何事もなかったように、また楽しそうに追いかけっこを始めました。さて、転んだ子はなぜ泣き続けたのか、そして泣きやんだのか。恐らく本人もよく分からないのでしょうし、周りの子たちも分からないでしょう。
「幸せは 耳かき 孫の手 つまようじ」 私の好きな「慰めの川柳」です。この3つの小さな道具は、自分の身体なのに、どうももう一つ届きにくいところ、耳の中、背中、歯の間に届いていい気持ちにさせる小道具です。
どんな人にも、自分の心の中なのに、どうもうまく処理できない、自分だけでは届くことができないそんな部分、また、自分の手で解決できることと、誰か他人の手や励まし慰めによってしか治らない心の部分があるのではないでしょうか。
私たちは、忠告されるのは好まなくても、理解はしてもらいたいと誰でも望んでいるのだと思います。だから、誰にでも少しでもいい気持ちになってもらうため、「温かい言葉、微笑み、親切(耳かき、孫の手、つつまようじ)」こんな気持ちを忘れずに「おつきあい」をしたい。そんなことを考えました。
(2011年10月号・広報とうま掲載文より・第59回エッセー)
でも、しばらくして子どもたちは何事もなかったように、また楽しそうに追いかけっこを始めました。さて、転んだ子はなぜ泣き続けたのか、そして泣きやんだのか。恐らく本人もよく分からないのでしょうし、周りの子たちも分からないでしょう。
「幸せは 耳かき 孫の手 つまようじ」 私の好きな「慰めの川柳」です。この3つの小さな道具は、自分の身体なのに、どうももう一つ届きにくいところ、耳の中、背中、歯の間に届いていい気持ちにさせる小道具です。
どんな人にも、自分の心の中なのに、どうもうまく処理できない、自分だけでは届くことができないそんな部分、また、自分の手で解決できることと、誰か他人の手や励まし慰めによってしか治らない心の部分があるのではないでしょうか。
私たちは、忠告されるのは好まなくても、理解はしてもらいたいと誰でも望んでいるのだと思います。だから、誰にでも少しでもいい気持ちになってもらうため、「温かい言葉、微笑み、親切(耳かき、孫の手、つつまようじ)」こんな気持ちを忘れずに「おつきあい」をしたい。そんなことを考えました。
(2011年10月号・広報とうま掲載文より・第59回エッセー)