「生き甲斐」 白鳥 貴英雄さん (伊香牛2区)

 追いかけたり追われたり、時間と私たちの関係って不思議です。そんなあわただしい日々の中で泣いたり笑ったり・・・人は誰でも”裡の自分”を見つめながら、消しゴムのきかない人生の頁を綴っています。その一頁一頁が魅力あるものにと、あれやこれや思いを巡らせていたのです。
 毎朝、勤め先近くの住宅から、腹の中からしぼり出すような声で詩吟の練習をしているのが聞えてきます。惑わず「これだ」と決め、日本詩吟学院岳風会当麻支部に入門しました。
最初は、川岸へ行って素っ頓狂な声を張り上げ「アエイウエオアオ」と練磨しました。気付くと、川面の水は押し合い、圧し合いながら常に自己の進路を求め、如何なる障害をも克服する勇猛心とを兼ね備え流れています。
 昔は、詩吟といえば「鞭声粛粛」とか「山川草木」といった詩を吟じていましたが、時の移り変りとともに文化の様相も変転してきました。今は、漢詩ばかりでなく、新体詩、短歌、俳句や散文などいろいろいな詩を吟ずるようになりました。素材となる詩歌は、人間の感動美の象徴にほかならないのです。
 私たち詩吟愛好者は何千年もの前から変らぬ詩を整理し、作者が心をこめて作った詩や歌を正しく読み、内容を把握することはもとより、その詩心をいかに正しく、美しく、切々と表現するかと云うところに朗吟の妙味があり本領があるのです。
 社会の一線を退いた人、若者たちと緩やかな時間の中で、人生の知恵を語りながら学び直したり、学び始めたりしています。これが心の襞となって人間としての深みと幅が増していき、人生はより豊穣なものになっていくことを念じながら。

(2011年7月号・広報とうま掲載文より・第56回エッセー)