「人生を支える出会いと心温まる言葉」 上林園子さん (4西3)
天窓を見上げる。真青だ。東向きのカーテンを開くと目の前に「デーン」と当麻山が居する。右側に朝日を從え町を見おろす。奥には白雲をいただいた大雪連峰が聳(そび)え立つ。
当麻町民歌が口の端に、「大雪山を仰ぎみて拓(ひら)きつづけたこの土に、出来秋の実り豊かな当麻町」と三番まで歌詞はある。そのとおり米はうまい。トーキビ・トマト、枝豆エトセトラ。私の人生に於てこの様に素晴らしいご褒美をいただけるとは思ってもみないことだった。
娘が嫁ぎ、孫が二人授かり、うれしい日々であったが「お母さん当麻町に家を建てることにしたから一緒に暮らさない」。娘の言葉は嬉(うれ)しかったが、我が家は主人退職を三年後に控えて、二人で設計し、旭川に戻れる事を信じて室蘭転任地で建てた家である。亡夫の魂が住んでいる。離れられない。だがある日当麻の御両親の一言が私の気持ちを変えた。「母さん、当麻も良いところだよ。」
当麻に住(すま)いして半年も経たないころ、またすばらしい出会いがあった。合唱団である。指導者に一目惚れ、見学に行った練習場で、即、入団を決めた。一挙に素敵な仲間ができたのである。
私の心の故郷は異郷の地、樺太豊原市。引揚げ後、相次ぎ両親、祖母が亡くなった。弟三人はまだ幼かったが、親族の温かい手に助けられ後(のち)に家業を手伝いながら夜学へ、妹と私は中卒で家事と家業を受けもった。
恩師田子先生の言葉「人生は永い道のりだ。学校で学ぶだけが勉強ではない。生涯学習。学ぶ場はいくらでもある。師も身近にいる。自分でみつけなさい」。“北海道新聞”私が見つけた師です。国数理社家医すべての学科が揃っている。朱線を引き切抜いてファイルする。私の宝もの。
今年は地球温暖化に依る災害が日本各地を襲った。報道によると深海の海温上昇率「ハイエイタス」が高く。海水が上昇して雲となり雨を降らす。広島など災害地で暮らす子ども達の健康が心配だ。将来を担(にな)う子ども達に優しく豊かな地球を取り戻してあげたい、と節に願う。私たちにできる事は何だろう、と考える。
春はチューリップに、夏から秋にかけて、いつの間に住みついたのか色とりどりのコスモスの花。先日の雹(ひょう)にも負けず癒してくれる。間もなく「野づらに光る雪の花」の季節が訪れる。めぐり会えたすばらしい故郷を大切に感謝の心で過したい。
(2014年11月号・広報とうま掲載文より・第93回エッセー)
当麻町民歌が口の端に、「大雪山を仰ぎみて拓(ひら)きつづけたこの土に、出来秋の実り豊かな当麻町」と三番まで歌詞はある。そのとおり米はうまい。トーキビ・トマト、枝豆エトセトラ。私の人生に於てこの様に素晴らしいご褒美をいただけるとは思ってもみないことだった。
娘が嫁ぎ、孫が二人授かり、うれしい日々であったが「お母さん当麻町に家を建てることにしたから一緒に暮らさない」。娘の言葉は嬉(うれ)しかったが、我が家は主人退職を三年後に控えて、二人で設計し、旭川に戻れる事を信じて室蘭転任地で建てた家である。亡夫の魂が住んでいる。離れられない。だがある日当麻の御両親の一言が私の気持ちを変えた。「母さん、当麻も良いところだよ。」
当麻に住(すま)いして半年も経たないころ、またすばらしい出会いがあった。合唱団である。指導者に一目惚れ、見学に行った練習場で、即、入団を決めた。一挙に素敵な仲間ができたのである。
私の心の故郷は異郷の地、樺太豊原市。引揚げ後、相次ぎ両親、祖母が亡くなった。弟三人はまだ幼かったが、親族の温かい手に助けられ後(のち)に家業を手伝いながら夜学へ、妹と私は中卒で家事と家業を受けもった。
恩師田子先生の言葉「人生は永い道のりだ。学校で学ぶだけが勉強ではない。生涯学習。学ぶ場はいくらでもある。師も身近にいる。自分でみつけなさい」。“北海道新聞”私が見つけた師です。国数理社家医すべての学科が揃っている。朱線を引き切抜いてファイルする。私の宝もの。
今年は地球温暖化に依る災害が日本各地を襲った。報道によると深海の海温上昇率「ハイエイタス」が高く。海水が上昇して雲となり雨を降らす。広島など災害地で暮らす子ども達の健康が心配だ。将来を担(にな)う子ども達に優しく豊かな地球を取り戻してあげたい、と節に願う。私たちにできる事は何だろう、と考える。
春はチューリップに、夏から秋にかけて、いつの間に住みついたのか色とりどりのコスモスの花。先日の雹(ひょう)にも負けず癒してくれる。間もなく「野づらに光る雪の花」の季節が訪れる。めぐり会えたすばらしい故郷を大切に感謝の心で過したい。
(2014年11月号・広報とうま掲載文より・第93回エッセー)