「秋に思う」 伊藤 加緒子さん(東 1)
「今年はうちのクリの木、豊作なのよ。拾いにきて」と声をかけると、代わる代わる友人がやって来て今年の秋はにぎやかだった。栗は決して一度にどっさり落ちることはない。訪れる人に平等に分けてくれる偉大な木なのだ。葉が繁っている夏はリスの姿を見つけることは難しいが、この季節は枝から枝へと可愛い姿を見せてくれる。負けじとカケスも大騒ぎ。こんな素敵な森に囲まれた農場を耕して暮らし、子どもたちはすっかり大きくなった。はて、私は……40も過ぎたと言うのに人生とは?未だ悟れず大人になれず……はっきりしているのはお日さまの下で土や草の匂い、鳥や虫の気配にワクワクするこの農場が大好き!ということだけだ。
今年の農繁期も終わり、ハウス資材など片付けつつ、春からの作業を思い返している。あろうことか今年は大切に育てたトマトやナスの苗をボヤで半分以上失っている。焼け跡を片付け、翌日すぐに種を蒔き直した。幸いトマトは自家採取していて種はたくさん残っていた。そんな1カ月遅れの育苗に夫は文句も無く付き合ってくれ、頭が下がったのはつい昨日の出来事にも思える。
思い返せば14年前、古いハウスのアーチなど集めて夫がコツコツと育苗ハウスを作ったのが我が農園の始まりだ。見よう見まねのハウスで数種の苗作りだったのが、今はハウス5棟分のさまざまな苗を、買うことなく全て育てている。目標は「農場にいかに自然の森のようにバランスの保たれたいのちの循環を再現するか」、そのための苗作りは……。土作りは……。
いつだったか、ビオラやマリーゴールドなど花の苗を作ったことがあったが、そのあとで私のビオラの何倍も美しい色のその花を見つけて驚いたことがある。およそ表土も無い、砂利ばかりの土手。肥料分の無い環境で、かえって植物は種を守るため、虫を呼ぶためにあんなに深く清らかなブルーを発色しえたのだろうか……。
最後に大好きな詩を紹介させていただく。
はちと神様 金子みすゞ
はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいの中に、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。
いつも神様といっしょ。農ある暮らしは素晴らしい。
(2010年11月号・広報とうま掲載文より・第49回エッセー)
今年の農繁期も終わり、ハウス資材など片付けつつ、春からの作業を思い返している。あろうことか今年は大切に育てたトマトやナスの苗をボヤで半分以上失っている。焼け跡を片付け、翌日すぐに種を蒔き直した。幸いトマトは自家採取していて種はたくさん残っていた。そんな1カ月遅れの育苗に夫は文句も無く付き合ってくれ、頭が下がったのはつい昨日の出来事にも思える。
思い返せば14年前、古いハウスのアーチなど集めて夫がコツコツと育苗ハウスを作ったのが我が農園の始まりだ。見よう見まねのハウスで数種の苗作りだったのが、今はハウス5棟分のさまざまな苗を、買うことなく全て育てている。目標は「農場にいかに自然の森のようにバランスの保たれたいのちの循環を再現するか」、そのための苗作りは……。土作りは……。
いつだったか、ビオラやマリーゴールドなど花の苗を作ったことがあったが、そのあとで私のビオラの何倍も美しい色のその花を見つけて驚いたことがある。およそ表土も無い、砂利ばかりの土手。肥料分の無い環境で、かえって植物は種を守るため、虫を呼ぶためにあんなに深く清らかなブルーを発色しえたのだろうか……。
最後に大好きな詩を紹介させていただく。
はちと神様 金子みすゞ
はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいの中に、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。
いつも神様といっしょ。農ある暮らしは素晴らしい。
(2010年11月号・広報とうま掲載文より・第49回エッセー)