「私の冬景色」 樋口 一也さん (3東3)
過ぎた日のひとこまだが、吹雪の日になると思い出す冬景色がある。
夕方に着く列車から降りた帰り道、雪煙りの舞う中、一列になって下校していく生徒の一団と出会う。辺りはすでに薄暗く、車のライトが行き交うだけだ。遠ざかるその姿を目にしながら少年の日の似た光景が甦(よみが)える。
あれは授業の終った夕暮れの帰り道その日も吹雪だった。市街地から開拓地の集落へと続く街灯もない一本道。一里半余りのその道を帰るのだ。曳(ひ)かれた馬そりと馬の足跡に足をとられながら、吹きっさらしと吹き溜りの道を急ぐ。数人で一列になって歩く。道沿いに建つ家も疎(まば)らになる。友の数も少なくなる。一人になるころは、心細さと手足の冷たさで不安が広がる。
と、雪煙りの向うに浮かぶ人の黒い影、近づくにつれて「あれは母だ」とわかる。角巻きを羽織り肩をすぼめて歩いてくるもんぺ姿の母だ。迎えに来てくれたのだ。安心と嬉しさがいっぱいになる。手をさすり温めてくれる。そして角巻き寄せて肩に掛けてくれる。母のふんわりとした温かさと匂いが冷えた体を包んでくれた。親子で急ぐ吹雪の帰り道である。
その母も、歩き通ったあの道も姿を変えて今はなく、吹雪でも通れる車の道になっている。老いて深まる過ぎた日の思い出、私の冬景色なのである。
(2015年2月号・広報とうま掲載文より・第95回エッセー)
夕方に着く列車から降りた帰り道、雪煙りの舞う中、一列になって下校していく生徒の一団と出会う。辺りはすでに薄暗く、車のライトが行き交うだけだ。遠ざかるその姿を目にしながら少年の日の似た光景が甦(よみが)える。
あれは授業の終った夕暮れの帰り道その日も吹雪だった。市街地から開拓地の集落へと続く街灯もない一本道。一里半余りのその道を帰るのだ。曳(ひ)かれた馬そりと馬の足跡に足をとられながら、吹きっさらしと吹き溜りの道を急ぐ。数人で一列になって歩く。道沿いに建つ家も疎(まば)らになる。友の数も少なくなる。一人になるころは、心細さと手足の冷たさで不安が広がる。
と、雪煙りの向うに浮かぶ人の黒い影、近づくにつれて「あれは母だ」とわかる。角巻きを羽織り肩をすぼめて歩いてくるもんぺ姿の母だ。迎えに来てくれたのだ。安心と嬉しさがいっぱいになる。手をさすり温めてくれる。そして角巻き寄せて肩に掛けてくれる。母のふんわりとした温かさと匂いが冷えた体を包んでくれた。親子で急ぐ吹雪の帰り道である。
その母も、歩き通ったあの道も姿を変えて今はなく、吹雪でも通れる車の道になっている。老いて深まる過ぎた日の思い出、私の冬景色なのである。
(2015年2月号・広報とうま掲載文より・第95回エッセー)