「移住」 三好 睦範 (3東3)
平成15年11月先ず冬の生活から始めようと、当麻町に移住して早くも7年目。約70年住み慣れた関西。空襲で焼け野原になった大阪、阪神大震災で家が潰れた宝塚など沢山の思い出を後にする時、知人友人の餞別の言葉は皆同じ「なんであんな遠い寒いとこへ行くのん?」でした。
末の息子が大学を卒業するや否や北海道へ行くと宣言し、山深い朝日町(現士別市)に居をさだめ名寄のもち米農家の娘さんと結婚、孫娘を2人(12歳と4歳)も産んでくれました。私達夫婦にとっては嬉しい初孫。世間のジジババと同様孫に会いたさ見たさで毎夏北海道へ。
旭川空港でレンタカーを調達して道道140号で朝日町へ向かう途中通過するのが当麻町。車中での会話は「早いとこリタイヤしてこっちで住みたいなぁ。どこがええやろか」とか言いながら2人で考えた移住の条件は、旭川市に近く田園風景の中で住み、車は持たず(冬道の運転自信なし)JR、バス等の公共交通機関があり自分達の足を頼りに生活可能な場所。これらをベースに見回してみると当麻町が第一候補。情報は町役場で教えて頂き、早速その年末に空家情報を大阪へ送って頂きました。
縁があったのか私達にピッタリのお家が有り町役場に紹介お願いしたところ、気持ち良く話がまとまり晴れて当麻町民となれました。
住まいして気づいたことは、毎日必要なお米と水が美味しい。真冬、築20年の家でもストーブ1台で春の暖かさ。踏み締めればキュッキュッと音をたてるパウダースノー(歩いているのは私達二人だけ)。雪が解け春になるとビックリ、花という花が一斉に咲きだし北海道には春と冬の2シーズンしか無いのかと思うほど。
思い返せば、私達をこの北海道に導いてくれたのは末っ子の次男夫婦。何にも優る親孝行、感謝したい。楽しいときは早く過ぎ去るの譬(たと)え、あっと言う間の6年間。これからは、当地の友人知人と健康に感謝し、スローな生活を楽しみたいと想う今日この頃です。
(2010年3月号・広報とうま掲載文より・第41回エッセー)
末の息子が大学を卒業するや否や北海道へ行くと宣言し、山深い朝日町(現士別市)に居をさだめ名寄のもち米農家の娘さんと結婚、孫娘を2人(12歳と4歳)も産んでくれました。私達夫婦にとっては嬉しい初孫。世間のジジババと同様孫に会いたさ見たさで毎夏北海道へ。
旭川空港でレンタカーを調達して道道140号で朝日町へ向かう途中通過するのが当麻町。車中での会話は「早いとこリタイヤしてこっちで住みたいなぁ。どこがええやろか」とか言いながら2人で考えた移住の条件は、旭川市に近く田園風景の中で住み、車は持たず(冬道の運転自信なし)JR、バス等の公共交通機関があり自分達の足を頼りに生活可能な場所。これらをベースに見回してみると当麻町が第一候補。情報は町役場で教えて頂き、早速その年末に空家情報を大阪へ送って頂きました。
縁があったのか私達にピッタリのお家が有り町役場に紹介お願いしたところ、気持ち良く話がまとまり晴れて当麻町民となれました。
住まいして気づいたことは、毎日必要なお米と水が美味しい。真冬、築20年の家でもストーブ1台で春の暖かさ。踏み締めればキュッキュッと音をたてるパウダースノー(歩いているのは私達二人だけ)。雪が解け春になるとビックリ、花という花が一斉に咲きだし北海道には春と冬の2シーズンしか無いのかと思うほど。
思い返せば、私達をこの北海道に導いてくれたのは末っ子の次男夫婦。何にも優る親孝行、感謝したい。楽しいときは早く過ぎ去るの譬(たと)え、あっと言う間の6年間。これからは、当地の友人知人と健康に感謝し、スローな生活を楽しみたいと想う今日この頃です。
(2010年3月号・広報とうま掲載文より・第41回エッセー)