「ふるさとの姿」  河島 峰樹 (開明5区)

 私は茨城県水戸市出身です。4年前に当麻に農業をするために移り住んできました。私は33歳ですが、実家のある水戸の風景はこの20年ほどで全くといっていいほど変わりました。
近所には畑や水田が多くありましたが、そのほとんどが開発され住宅地や商業施設に変わり、少々町外れにあったはずの実家は今では水戸でも一等地のぶるいに入ります。大学生時代は東京で過ごしましたので、毎年実家に帰るたびに変化に驚かされてきました。
 その流れはサラリーマンになってからも加速し、著しい変化をとげました。母校の高校の近くにあった広大な森には茨城県庁舎が建ち、よく友達とキャッチボールをしていた空き地にはショッピングセンターが建ちました。
 高校生くらいまでは開発が進むことで実家周辺の利便性が良くなっていくことをうれしく思っていましたが、東京に出て水戸がふるさとになってからは、様変わりしていく姿を若干の寂しさをもって見ていました。
 便利になることはすばらしいことですし、その利便性によって多くの家が建ち、そしてまた商業施設が建ち街は発展していきます。都市部ではあたり前の流れなのだとは思いますが、いまひとつ素直に喜べません。33歳の私がこのように思うのですから、もっと年配の方はより寂しさを感じるのではないでしょうか。
 「兎(うさぎ)追いしかの山~小鮒(こぶな)釣りしかの川~」という歌がありますが、2歳半になる息子にとって当麻がふるさとになるとき、今と変わらぬ風景をおくることができるようにしていきたいと思います。その変わらぬ風景を見て息子がどう感じるかは、息子次第ですが。

(2009年5月号・広報とうま掲載文より・第32回エッセー)