「当麻に来てから50余年」尾崎アツ子さん(伊1)
私が当麻町伊香牛に来た時は田を起こすのはまだ馬がプラウを引いて耕していました。やがて耕運機になり乗り物はバイクでした。夫にしがみついて田植え出面に行ったのを覚えています。そしてだんだんトラクター・コンバインと機械化され今ではあちこちで八条田植え機が出回っています。籾は車でライスセンターに運ぶ時代となりました。家では始めは四町歩の水田と土建の仕事に行っていましたが、途中で水田と花作りに切り変え、カーネーション・菊を作るようになり大変忙しい思いをしました。
年齢とともに体を考え、水田を隣に貸してだんだん花も少なくして、夫はひょうたん作り、私は花壇作り・プランターの花を趣味にして毎年家の前をきれいに飾っています。
冬になると私は3センチ角の折り紙で鶴を折り、千羽鶴を作り、部屋に飾ったり友達にあげて喜ばれています。夫の母は90才の頃、折り鶴をコツコツと一万羽程折り、何事も辛抱強い人でした。私の子どもも孫もしっかり子守していろいろなことを教えてくれて本当にありがたかったです。百歳になっても元気でデイサービスに行き、楽しいと喜んでいました。夫の母は今年七年忌です。
振り返れば当麻に来てから50余年が過ぎました。楽しい日、辛い日、悲しい日、いろいろなことがありました。それも子どもたちとかわいい孫の成長をばねにして何事も一心に辛抱辛抱と心に決め、頑張ってきました。4人の孫もみんな就職して安心しています。今では私も仕事を頑張りながらボーリング、パークゴルフそしてたまにはカラオケを楽しんでいます。この頃は歩くことを一番と考えています。健康第一です。今年も豊作の年でありますように心からお祈り致します。
(2016年8月号・広報とうま掲載文より・第112回エッセー)
年齢とともに体を考え、水田を隣に貸してだんだん花も少なくして、夫はひょうたん作り、私は花壇作り・プランターの花を趣味にして毎年家の前をきれいに飾っています。
冬になると私は3センチ角の折り紙で鶴を折り、千羽鶴を作り、部屋に飾ったり友達にあげて喜ばれています。夫の母は90才の頃、折り鶴をコツコツと一万羽程折り、何事も辛抱強い人でした。私の子どもも孫もしっかり子守していろいろなことを教えてくれて本当にありがたかったです。百歳になっても元気でデイサービスに行き、楽しいと喜んでいました。夫の母は今年七年忌です。
振り返れば当麻に来てから50余年が過ぎました。楽しい日、辛い日、悲しい日、いろいろなことがありました。それも子どもたちとかわいい孫の成長をばねにして何事も一心に辛抱辛抱と心に決め、頑張ってきました。4人の孫もみんな就職して安心しています。今では私も仕事を頑張りながらボーリング、パークゴルフそしてたまにはカラオケを楽しんでいます。この頃は歩くことを一番と考えています。健康第一です。今年も豊作の年でありますように心からお祈り致します。
(2016年8月号・広報とうま掲載文より・第112回エッセー)