「当麻のじいちゃん」大原剛さん(3西3)

生まれも育ちも札幌の俺だけど、小ちゃい時から事あるごとに当麻へ遊びに来ていた。なぜなら「当麻のじいちゃん」が住んでいたから。亡くなってもう3年が過ぎたけど、陽気なじいちゃんで、本当に俺をかわいがってくれた。母の実家が当麻だから、お盆や正月に家族で帰省していたんだけど、俺たち孫が遊びに来るのを本当に楽しみにしていたらしい。お酒が大好きで、たま~に羽目を外しちゃうじいちゃんだったけど、俺が遊びに来る前はお酒を控えて、孫に嫌われないようにしていた。当麻で俺はじいちゃんにたくさんいろんなところへ連れて行ってもらった(ねずみ色の軽自動車が愛車だった)。フィールドボールが趣味だったので、一緒に打ちに行ったり、大きなお風呂が好きだったので、ヘルシーシャトーにも足繫く通った。
縁あって当麻に住み始め、はや1年がたとうとしている今、あらためてじいちゃんの存在の大きさを感じている。ケガや病気の治療で一時的に札幌へ行くことはあっても、かたくなに当麻を離れようとしなかったじいちゃん。じいちゃんの知り合いで、母の同級生である隣のおじちゃんに会って話をすると、その理由がわかる気がするのはなぜだろう(じいちゃんは将棋と相撲も好きだった)。俺もじいちゃんみたいにずっと当麻で暮らしていけたらと思う。
昔の当麻について教えてもらうことも増えた。住んでみてはじめてよく分かることばかりだ。昔は人口が今の倍くらいだったこと、映画館やボウリング場があったこと、子どもは竹でスキーを作って遊んだこと、五右衛門風呂に入っていたこと、中学校に売店があったことなど、そこにはたくさんの驚きがあった。
今、俺が当麻にいられるのも、きっとじいちゃんがいたから。もっとたくさん話をしておけばよかったな~と思うけど、じいちゃんへの感謝を忘れずに、明るく生きていこう。

(2017年新春号・広報とうま掲載文より・第116回エッセー)