「浅はかな自分から母としての自分」吉田貴予美さん(4東3)

7月のとある日、「少年の主張」上川地区大会の紙を見かけました。自分もかつて20年前の大会に某中学校の代表として出場したのを思い出したのです。テーマはたしか「目の見えない方との出会いから」だった気がします。自分と視覚障害の方との出会い、自分なりに勉強して主張させていただきました。
 当時は一生懸命考えた意見でしたが、今の私からすれば、浅はかだったなぁと思いました。
 障害を個性として捉えるなんて、健常の人が勝手に解釈しているだけで、スゴク他人事だし、当事者にならなければ、無神経で理解の無い発言だったわけです。
 なぜこのように考えが変わったかというと、20年月日が流れたのもありますが、現在の私は世の中では発達障害と言われている息子と入院生活が3カ月もあった娘の兄妹を育てているからです。
 発達障害といっても、種類もあるし複雑だったり、軽度から重度という見かたもあるかもしれませんが、辛いほど苦手だったりするんですよね。これも人によって違うのかもしれませんが、見た目ではわかりにくい障害なんです。
 私は今年の3月の後半に、10年ぶりに引っ越してきました。別の県に住んでましたが、子育てに限界を感じたからです。母という存在は笑顔で楽しく子育てを楽しみましょうなんて言われて、まだまだひよっこの母ちゃんですが、不思議でかわいい息子と娘の3人で、自分らしく、今までの辛かった分も楽しんで当麻町で住んでいきたいと思う今日この頃です。

(2017年8月号・広報とうま掲載文より・第123回エッセー)